HomeNBA偉大な選手たち〜ベン・ウォーレス〜

ベン・ウォーレス

ベン・ウォーレスは公称206cm(本当はもっと小さい?)とインサイドの選手としては小柄で
シュートも上手くなくてオフェンス力がほとんどないため
無名校出身でドラフトにも引っかからず、ドラフト外でNBAの世界へ入った選手です。

驚異的な身体能力でリバウンドやブロック、パワフルなダンクが魅力の選手で
リバウンド王、ブロック王のタイトルを何度も奪取し
ディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ジ・イヤー(最優秀守備選手賞)にも4度選出されています。

ドラフト外でNBAに入った選手として、
オールスターに先発出場したNBA史上唯一の選手
としても知られています。

ニックネームはBig Ben(ビッグ・ベン)
このベン・ウォーレスについて紹介していきます。

幼少時代から培われたディフェンスの意識

ベンは11人兄弟の10番目で、小さいころはバスケットボールをしていても
兄弟からはろくにパスをしてもらえませんでした。
ボールに触れるのはリバウンドを取ったりスティールをしたときぐらい。

ただ、これらをこなすと兄弟からも褒められたため、
小さいころから、ディフェンスマシンになれる環境にいた、ということになります。

野球もやっていたそうで、ポジションはセカンド。
競技は違っても、やはり身体能力についてはかなりの評価をされていたのではと思います。

インサイドとしてはサイズが小さいが身体能力はかなり高かったため
SGへのコンバートも試されたとか。
今は全く信じられません(笑)

NBA入団からマジック時代

NBA入団を果たしたワシントン・ブレッツ時代は、あまり出場機会を得られませんでしたが
当時はチーム再建中のマジックに移籍し、脇役ばかりで目も当てられないと言われていたチームを
ボー・アウトローと一緒にタフなディフェンスでプレイオフ出場まであと一歩と大健闘しました。

この年のベンのスタッツは平均24分程度の出場で、8.2RPG、1.6BPGと
ディフェンダーとしてGoodな数字を叩き出します。

ここで評価を上げて、グラント・ヒルとベンを含む複数人とのトレードで
デトロイト・ピストンズに移籍します。

才能を開花させたデトロイト・ピストンズ時代

ピストンズ移籍後に、脅威のディフェンス力が開花しました。
リーグを代表するインサイドプレーヤーにまで上り詰めます。

ベンは2001-02、2002-03、2004-05、2005-06の計4シーズンに渡り
ディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ジ・イヤー(最優秀守備選手賞)を獲得しました。
同賞を4回も受賞したのはNBA史上、ムトンボとベンの二人だけです。
ディフェンスでお客を呼べる、数少ない選手でした。

2001-02シーズンはリバウンドとブロックショットのタイトルを同時に取った、史上4人目の選手となりました。
ブロックを狙って跳ぶと、シュートが外れてもディフェンスリバウンドに絡みづらくなる(そもそもブロックに跳んでる時点でスクリーンアウトできない)ので
この2つのタイトルを同時に獲得するのは相当難しいと思います。
事実、他の3人はカリーム・アブドゥル=ジャバー、ビル・ウォルトン、アキーム・オラジュワンと
歴代最高クラスのセンターばかりです。

2002-03シーズンも自己最高の15.4RPGをマークして
2年連続リバウンド王のタイトルを獲得しました。

2003年にはオールスターにイースタン・カンファレンスの
先発センターとして出場しました。はじめにも書きましたが、
ドラフト外入団からオールスターで先発出場を果たしたのは
長いNBAの歴史上、ベン・ウォーレスだけです。

2003-2004シーズンには当時オールスターPFのラシード・ウォーレスを加え、優勝を果たしました。

ファイナルMVPこそMr.Big Shot「ミスター・ビッグショット」のチャウンシー・ビラップスに譲りましたが
2003-2004 NBAファイナルでは
当時NBAで無敵だったシャキール・オニールに対し、一人でマッチアップしました。

一人でシャックを抑える、とまではいきませんでしたが、簡単にはやられず
ベンがマッチアップしていたおかげで他メンバーはシャックへのヘルプディフェンスをあまり行なわず
シャックは30点取っても当時レイカーズのチームメイトだった
コービー・ブライアントや勝負どころに強いロバート・オーリーが活躍する場面は
かなり少なく、結果的にチームのディフェンスに大きく貢献しました。

このチーム・ディフェンスにはベンだけでなく
ファイナルMVPを獲得したチャウンシー・ビラップス
スタミナが売りのリチャード・ハミルトン
身体能力と驚異的な手の長さを持つテイショーン・プリンス
オフェンスは外寄りでもディフェンスはタフなラシード・ウォーレス
と、ベン・ウォーレスを中心としながらも
皆タフなディフェンスができるトータル・ディフェンスでの成功でした。

翌2004−05シーズンもNBAファイナルに進出しました。
第7戦(最終戦)まで勝負はもつれた末にサンアントニオ・スパーズに敗れましたが、
かなり白熱した試合でした。
お互い地味なチームでしたが(笑)
このファイナルをピストンズが制していたら、ファイナルMVPはベン・ウォーレスだったと思います。

ベンの人気は非常に高く
ピストンズのホームコートは、ベンのトレードマークのアフロヘアのカツラをかぶったファンが見られました。
アフロとコーンロウのどちらかでしたが、基本的にベンの奥さんの指示(?)で
決めていたようです(笑)

ピストンズを離れ、シカゴ・ブルズ、クリーブランド・キャバリアーズへ

2006年のオフ、7月にベン・ウォーレスはシカゴ・ブルズと契約しました。
もちろん、ピストンズも良い条件を提示していましたが、ブルズの方が
良い条件を提示していました。

しかしシーズン開幕から自身もチームも不調、
さらにチームで禁止されているヘッドバンドをつけスコット・スカイルズHCと対立するなど
序盤は苦しいシーズンを送りました。後半はチームメイトの活躍、そして自身の調子も上がり、
3年連続のプレーオフ進出に貢献しましたがイースタンカンファレンス・セミファイナルで古巣のピストンズに敗れた。

当時のブルズの苦戦を見て
やはりバスケットボールの、NBAのディフェンスは一人ではできない、ということを感じました。

ピストンズはビラップスとハミルトンのバックコート陣のディフェンスが相当タフだったので
ベンのブロックやリバウンドでチームのディフェンスを終了させることができましたが
当時ブルズにいたカーク・ハインリック、ベン・ゴードン、クリス・デュホンなどのバックコートのディフェンスは
彼ら二人ほどタフではなく、
「そこまでズバッと抜かれたらもうどうしようもないよ」

という抜かれ方もちらほらと目につき、ベンの良さを出せずにいたように思いました。

2008-09シーズン、トレードデッドラインの2008年2月21日
3チーム11人が絡む大型トレードにて
シカゴ・ブルズからクリーブランド・キャバリアーズへと移籍しました。

この頃から故障もあり、アンダーソン・バレジャオやジドルナス・イルガウスカスと
出場時間を分けあうようになりました。
2009年のNBAファイナル終了後は一時、引退を意味するような発言も。
結果、シャキール・オニールとのトレードで
サーシャ・パブロビッチと共にフェニックス・サンズへ移籍することになりました。
その後、2009年のオフ、7月13日にサンズはウォーレスをバイアウトし
ベン・ウォーレスは引退を決意します。

友の説得で、再びピストンズへ

リチャード・ハミルトン、テイショーン・プリンス。
ピストンズの黄金期を共に築いた2人の友の説得により
2009年8月7日、ウォーレスはピストンズとベテランミニマムで契約することに合意しました。
輝かしい時期を過ごした古巣、デトロイト・ピストンズに戻ることになりました。

2012年2月、このシーズン限りで現役を引退すると表明しました。

最後に個人的に

一つだけ言えば、
2006年のオフにキャブスに移籍せず、ピストンズに残っていれば。。。

当時まだチャウンシー・ビラップスとリチャード・ハミルトン、テショーン・プリンスと
主力は残っていたし、
あと一度は多く優勝できたかもしれない。。。

当時のピストンズも決して悪くない
結構な条件を提示していたはず。

ベン・ウォーレスは間違いなく素晴らしい選手でした。
リバウンドやブロック、ルーズボールでもお客さんを盛り上げる力を持っていたし
何より私自身がビッグ・ベンが大好きでした。
ずっとピストンズに残ってほしかった、と思わずにはいられません。

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